Management Issue Vol. 2

ミドルもシニアも自らを奮い立たせて
新しい学びにチャレンジを。

〜Special Talks〜 宮田 一雄氏
宮田 一雄氏 富士通株式会社 シニアフェロー

みやた・かずお。1954年、徳島県生まれ。大阪大学基礎工学部機械工学科を卒業後、1977年に富士通へ新卒入社。システムエンジニアとして従事し、20代後半からは数々の大規模案件でプロジェクトマネージャーを務めた。40代で本部長、50代で執行役員に就任した後、富士通の複数のグループ会社で社長を歴任し、2016年には富士通本体の執行役員常務に就任。2017年、著書『進む!助け合える!WA(和)のプロジェクトマネジメント:プロマネとメンバーのためのCCPM理論』を出版。2018年より現職。

マネジメントに対する価値観において共感できることがたくさんありました

高橋
初めてお会いしたのは2年ほど前でしたね。富士通のかたを通じてお会いできたわけですが、特にビジネスとは無関係な席でお話をさせていただいていたのに、宮田さんのプロジェクトマネジメントにかける強い思いのようなものをうかがっているうちに、ついつい盛り上がってしまったのを覚えています。
宮田
私は1970年代にSEとなり、80年代にはプロジェクトマネージャーも務めるようになりましたから、日本企業のプロジェクトがいかにマネジメントできていないのかを、痛切に肌で感じてきました(苦笑)。「もっとこうすれば良くなるのに」とか「なぜこうしないのか」といった思いをずっと抱えてきましたので、「PMOのソリューションを専門に提供している会社があるらしい」という情報を得た時から、大いに刺激を受けていたんですよ。しかも実際に高橋さんとお会いして話してみたら、マネジメントに対する価値観において共感できることが驚くほどたくさんありました。あの日のことは、私にとって本当に嬉しいひとときでした。
高橋
私としても、システムを提供する立場から日本のプロジェクトマネジメントの実態を体感してこられた宮田さんのようなかたと出会えたことが嬉しかったですし、宮田さんが心身に刻み込んでこられたリアルな経験と価値ある気づきを、これからの時代を担う人たちにもシェアしたくなったんです。それで昨年のMSOL主催イベントでは講演をしていただきました。
宮田
イベントにうかがった時には驚かされました。こんなにも大勢の人たちが集まっているのかと思いましたし、皆さんマネジメントを良くしていきたいと真剣に考えて出席されていましたからね。
高橋
講演をお願いした時には"きちんとしたフレームワークがPMOには求められる"ということを、宮田さんご自身の具体的体験談を踏まえながら話してくださいました。 おかげさまで社員たちはいたく感動をしていました。「自分たちがこのMSOLで取り組んできたことは間違っていなかったんだ」と多くの社員が自信を持ったようです。

ITシステムの浸透とともに日本で定着してしまった悪しき下請け構造

宮田
私が富士通のSEとして働きながらプロジェクトのマネジメントにも携わっていたのは、今から30〜40年ほど前の1980〜90年代です。あらゆる企業が、経営に直結する重要なインフラとしてコンピュータシステムを導入していくタイミングでしたから、時代の転換点に立ち会える醍醐味を存分に得られる仕事でした。ただし当時のSEの価値は、導入されるハードウェアやソフトウェアの「オマケ」のようにしかお客様に認知されませんでした。ITシステムとの正しい向き合い方というものを、提供する側も導入する側もまだしっかりと理解できていなかった。ですから導入したシステムの持ち主は当然のことながらお客様自身なのですが、もしもこのシステムが正常に動かなくなった場合には「導入したベンダーが直す。それが当たり前だろ」ということになっていきました。
高橋
ベンダーのエンジニアの間でも、「開発担当は花形で、運用保守担当は外様」という妙なヒエラルキー意識が浸透していきましたよね。
宮田
そうなんです(苦笑)。IT革命の価値を生み出しているのは、複雑なコードを書いている一部のエンジニアだけ。ましてや導入プロジェクトなどを切り盛りするマネジメント役なんて、「いなくてもプロジェクトが回るなら、それがベストだ」くらいの評価しか与えられていませんでした。私も含め、当時プロジェクトマネジャー(PM)を担っていた者は、今MSOLの皆さんが駆使しているような体系化されたマネジメント手法もスキルも知らないまま、個々に工夫をこらすことで何とか乗り切っていくしかない状況にいたんです。さらに時代が進み、ほとんどの企業に基礎的なコンピュータシステムが行き渡った2000年代になると、ITは「変革をもたらす存在」としてよりも「コストを生み出す存在」だと見なされる風潮が広がりました。
高橋
導入企業は「安くしろ」の一点張りになりましたね。私も2000年当時は外資系ITコンサルティング会社にいて、そういう現場に触れていましたから、時代の節目が到来している感覚を味わいました。
宮田
「安くしろ」という要望に応えるために、日本では悪しき下請け構造が定着してしまいました。直接お客様から発注をいただくベンダーは、自社のSEを上流過程に専念させ、残る実行段階においてはより低賃金で働いてくれる二次請け・三次請けのベンダーに委託していく。私が携わったプロジェクトの中には、七次請けのベンダーがいたこともあったんです(苦笑)。
高橋
そういう縦型構造であれば確かにコストは安くなる。ただし、複雑な構造の中でバラバラな組織がいくつも参加してくるわけですから、PMを担う宮田さんたちからしてみれば、「結果を出す苦労」は前にも増して肥大化していったわけですよね。ソニーのシステム子会社に在籍していた時は私は発注側で関わってましたが、いかに下請けが多いかということを目の当たりにし、日本で行われているほとんどのITプロジェクトが悪い方向に走っていることを苦々しい思いで見ていました。
宮田
もちろん矢面に立っている私としても、マネジメントは「オマケ」なんかじゃない、という主張は繰り返してきましたし、富士通にもその問題意識を共有してくれる空気はあったのですが、いかんせん技術革新が猛スピードで進んでいった。1996年にはPMBOK®ガイド※が本になり、日本にもようやく「マネジメントにはきちんとした知識が必要なんだ」ということも明らかになったのですが、結局は各々の現場に携わるPMたちの属人性に依存する状況が続きました。
※PMBOK®ガイド
プロジェクトマネジメント協会 (PMI) が発行する、世界で使用されているプロジェクトマネジメントの知識を体系化したガイドブック。
高橋
個人の能力や暗黙知の積み重ねでなんとかその場をしのいでいく、というマネジメントの現実を変えたい。私がMSOLの立ち上げを決意したのも、宮田さんご指摘の現実を打破したかったからです。
宮田
悔しいですよ。リーン、スクラム、デザインシンキング......これ全部、トヨタ生産方式、1980年代の日本の製造業の新製品開発プロセス、ワイガヤを参考に形式知にしたものなんですから。高橋さんがおっしゃったように、僕らは現場で苦心しながら、なんとかプロジェクトの管理や進行をうまくいかせようとして工夫して、いろいろな手法を実施してきたけれども、それらを体系化してノウハウにまとめていこうという動きがなかった。いつしか賢い米国や欧州の人たちが日本で行われている、すぐに分業せずに知恵を出し合う仕事の仕方をスクラムとかデザインシンキングという方法論に仕上げてしまい、悲しいことに今、日本のPMたちはそれを逆輸入して勉強している。
高橋
良くも悪くも、日本は同質社会のまま発展してきた歴史があるので、欧米人が得意とする言語化や体系化、方法論化をあえて必要としなかったんですよね。「いちいちクチで説明しなくても、空気を読んで、俺の背中を見ていれば、あうんの呼吸でわかるよな」と(笑)。でも、グローバル競争が激化して、組織のダイバーシティ化も進む現代社会になってから、言語化してこなかったツケがまわってきてしまった。
宮田
そう、そこなんです。現代のプロジェクトマネジメントや組織経営はまさに「空気」や「呼吸」で、近江商人のように「三方よし」が実行できるような場じゃあなくなっています。高橋さんがいち早くそういう真実に気づいてMSOLを立ち上げ、ここまで大きくしてこられたことを私は心から嬉しく思っていますし、私自身がリカレント教育という局面に力を注ぐようになったのも、こうした事情からだったんです。

未来を予見して社会課題解決のために中長期的な投資を

高橋
実は「正しく言語化しなければいけない」という意識を、今、私はSDGsに対して感じているところなんです。宮田さんが指摘されたように、日本は欧米人がノウハウ化したものであれば喜んで輸入する傾向があり、会社経営の姿勢もいつしか「ひたすら利益獲得だけを追求」する米国型になっていました。本来、江戸の商人や明治の事業家には「社会に貢献する責任」というものがしっかりインストールされていた日本なのに、いつしかそうした使命感が失われていたと思うんです。
宮田
なるほど、そういうことですか。たしかにSDGsという国際的なムーブメントが起こってから、日本でも積極的に取り組む企業が出てきましたが、真面目に正面から向き合っているところもあれば、ある意味、投資家へのアピールのためにSDGsを扱っている企業も少なくない。そこの違いをきちんと言語化しなければ、ということですね。
高橋
図らずも、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックを経て、世界中の人々が社会課題と真剣に取り組むことの重要性、危機感を高める体験をしました。これからは個々人の働き方も、会社経営のあり方も、何から何まで再定義され、ダイナミックな変革が行われます。何が価値なのかが問われていくと思います。そこではもう「SDGsと言えば株価が跳ねる」かのような意識ではやっていけませんよね。
宮田
現状SDGsに真剣に取り組んでいる企業の多くは海外の企業であり、強固なリーダーシップを発揮することによって新しい挑戦をしていますが、今後は日本のサラリーマン社長がリーダーを務める企業にも変革が強く問われてくるでしょうね。自分の社長の任期さえ業績を伸ばせればそれでいい、という近視眼的発想ではなく、もっと先の未来を予見して社会課題解決のために、中長期的な投資をしていく。そういう組織だけが価値というものを創出できる、という時代がやってくるでしょう。
高橋
同感です。ですから私としても国連が定めたSDGsにとどまることなく、「MSOLの営みを通じて社会の幸福に貢献する」ためには、実際どういうアプローチをするべきなのか、という命題を追いかけていきたいと思っているんです。
宮田
思うところは共通しています。私は高橋さんのおっしゃる命題を解く最大の鍵もまた「人」にあるだろうと思っているんです。
高橋
わかります。究極、「人」がどう成長できるかによって、プロジェクトや企業の成否ばかりでなく社会全体の進化も違ってきますよね。宮田さんが近年注力されているリカレント教育はまさにその鍵を握っている大切な施策だと私も感じています。

皆が当事者意識をもって社会の課題に立ち向かっていける時代がやってくる

宮田
私も現場を離れ、経営の仕事をするようになってからは、「いかに現場の社員と経営者との距離を短くしていくか」、「どうすればモノ作りやマネジメントを担う人たちをプロフェッショナルとして成長させることができるか」という課題に取り組んできました。その結果、到達したのがリカレントの発想です。新人をイチから育てていくことが重要なのは言うに及ばず、むしろ大企業の中でいつの間にか「ゆでガエル」になってしまった大人たち(笑)を鍛え直さないと、日本は沈んでしまうぞと。
高橋
たしかに多いですね(笑)ゆでガエルな大人たち。私は以前、大企業が新設したイノベーティブな部署に抜擢された若手人材と話したことがあります。とてもやりがいのありそうなところに抜擢された彼ら彼女らですが、ことごとく会社を辞めているんですよ。「なぜなの?」と尋ねたら、異口同音に返ってきた答えが「イノベーティブじゃなかったから」(苦笑)。つまり、彼らを束ねていく立場のマネジメント層が、そもそもイノベーションを起こせるように成長できていなかったようなんです。メールで送れば済むような連絡事項を、いちいち既存の書式に基づいた書類にし、プリントアウトしてマネージャーのデスクに持っていかなければいけなかったりする。「そんなことじゃ効率が悪いし、アジリティも上がらない」と主張しても、上司はその意味さえ理解できない、というように(笑)。
宮田
いやあ、笑えない話です。例えばSlackのように有効なコミュニケーションツールが登場すると、若いベンチャー企業はすぐさまこれを採り入れて、日々のやりとりに活用していきましたが、我々大企業はといえば、そうしたツールひとつを採用するのにも、ひとしきり手続きが必要になります。段取りを踏まないと動けない。それが企業なんだ、と思い込んだまま歳を取ってしまった。そのせいで自分たちのスピードが鈍くなっていることにも気づけない。なのに、そういう人物が人を束ねる役職に就いたりするわけですから、高橋さんがお会いになった若手諸氏の気持ちは推して知るべしですね。
高橋
だからこそ鍛え直すべき、ということですね?
宮田
スクラム開発の父と言われているジェフ・サザーランドさんの著書『スクラム』の解説で一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生が「ジェフは人の能力と時間という世界で最も価値のある資源を無駄に使う事に我慢ならないのだ。スクラムはそれを解決する手法なのだ」と書いています。私はこの発想にとても共感していて、結局のところ私たちが手にしているリソースは"個の能力"と"時間"の2つに集約されるのですから、「大の大人」も素直にその可能性を追い続けるべきであり、そうすれば必ず成果は上がると信じているんです。かつては「こういう時にはこうするもの。それがウチの流儀だから」という教育だけを受け、あうんの呼吸の暗黙知の中だけで温々としてこれたかもしれませんけれど、もはや大企業であろうともそんな昔流儀は通用しなくなっています。年功序列も崩れ、ずっと年下のリーダーのもとでベテラン社員がパフォーマンスする場面などはどんどん増えるはず。そんな場面で、「昔流やウチの流儀しか知らないオジサン」になっているようでは、企業としての価値も上がっていきません。
高橋
つい数年前までの当たり前が、いろいろと変化し始めているのは確かですね。前提条件というものが、良い意味でフェアになりつつある感覚はあります。実をいうと私は経団連というものに「旧態依然の価値観」の存在を感じ、加わることを躊躇していた時期があったんです。でも入会のための推薦を頂いた方から直々に「そういうキミのような人間こそ、私は経団連に参加してほしいと思っているんだ」と言っていただき、「何かが変わろうとしている空気」を感じて加入したんです。
宮田
経団連があなたに何を期待しているのかは私もわかりますよ(笑)。やっぱり間違いないのは、日本は時間がかかってはいるけれども変わり始めているし、変わろうとしているということ。それゆえに、ミドル層やシニア層も、自らを奮い立たせて新しい学びにチャレンジしなければいけません。
高橋
教育というアプローチは、そのプログラムを受けた人間が具体的な成果を上げることで、初めてうまくいったかどうかがわかる代物ですから、じっくりと取り組み続ける必要はありますよね。ただ、確実に言えるのは宮田さんがおっしゃる通り「自分から変わろうとした者」は、ゆでガエルではなくなるということ。
宮田
大企業で長年働いてきた人たちが変わるのは並大抵ではないですから、相当厳しい評価を下してムチを入れていかなければいけないな、と考えてはいますが、成果が見え始めてくれば日本も必ず変わります。
高橋
もちろん若手人材もまた成長を貪欲に求めるべきですよね。私はMSOLの創業期から自律的キャリア形成というものを社員に呼び掛けています。教育を受ける機会は豊富に提供するけれども、「あなたの成長にコミットするのは会社ではなくあなた自身なんですよ」というメッセージです。ですから同時に「3年間はここで学んでほしいけれども、その先は自由に働く場を変えてくれて構わない」とも伝えています。MSOLを踏み台にしていいから、どんどん自主的に成長してほしい、と。
宮田
いいですね。お互い、シニア、ミドル、若手の区別なく、「人」の成長において結果を出していきましょう。そうすれば、年齢や経歴に関係なく「自分の頭で考えられるプロフェッショナル」が次々に登場してくれる。彼ら彼女らが日本を面白くしてくれるでしょうし、皆が当事者意識をもって社会の課題に立ち向かっていける時代がやってくるはずです。

(対談日:2020年3月18日)

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